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容疑者に同情の余地はない 川崎市登戸大量殺傷事件

5/29/2019

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■子供を狙った卑劣な犯行
死人を鞭打つのは避けるべきかもしれないが、
この事件の犯人に、そんな配慮が必要かは疑問だ。

<参照記事>

産経新聞 岩崎容疑者、伯父夫婦と3人暮らし、隣家とトラブルも 川崎19人殺傷

文春オンライン 「おはようございます!」犯人・岩崎隆一(51)は事件直前、何食わぬ顔で挨拶した《登戸殺傷事件・現場ルポ》

共同通信 川崎児童殺傷、包丁を4本所持 自殺の51歳男、強い殺意か

無差別殺人と言われる事件を起こす人間は、
逮捕されて動機を聞かれると、「誰でもよかった」と言うことが多い。
そして、世の中に不満があるから、というように、大概は動機がくだらない。

世の中に不満がない人間などいない。
完璧に恵まれた環境で育った人間だと、極々一部。
明るく見える人でも、外からは想像もできない過去を持っている人もいる。
大半の人は、そういったことがありながらも、懸命に生きている。

しかし、こういう事件を起こす人間は、
自分が変わることで環境が変わっていくとは考えない。
気に入らないから暴れる。
極めて幼稚な発想で、関係のない人間を巻き込む。

誰でも、余裕がなくて、人を傷つけてしまったり、心無い言葉を言ってしまうことは、
ときにはあるだろうが、こういった事件は、越えてはいけない一線を越えているので、
犯人にどんな事情や理由があっても、同情の余地はなくなる。

そして、誰でもよかったと言いながら、
子供や女性、老人など、自分より弱いと思われる人間を狙う。
意識していようがいなかろうが、本当の意味で誰でもよかったわけではない。
自分より弱いと思われる人間なら誰でもいい、ということなのだ。

今回は、こういう事件を起こすのはどんな人間なのか、
そのあたりを見ていく。
■事件概要
事件が起こったのは、令和元年(2019年)5月28日、川崎市登戸で、朝の通勤、通学の時間帯。

岩崎隆一容疑者(51)は、通行人や通学バスを待つ小学生、19名を刃物で刺し、
内2人は亡くなり、容疑者である岩崎も、自分で首を刺して死亡した。

現時点でネットで確認できる記事では、容疑者の男は、
叔父夫婦と3人暮らしで、子供のころから、キレると手がつけられないタイプで、
大人になってからも、度々近隣トラブルを起こしていたらしく、
いつか事件を起こしても、それほど不思議ではない人間だったようだ。
しかし、まさかこんな事件を起こすとは、誰も予想していなかっただろう。



■容疑者の犯人像
ここで書く犯人像は、あくまでも私の見解である。

岩崎容疑者は、子供のころに叔父夫婦に引き取られたらしい。
ここから、ある程度複雑な家庭環境で育ったことが予想される。
何があったのかは分からないが、幼いころの環境は、
成長過程にある子どもの心に大きく影響し、何かしら歪みを生じさせることもある。

心理学者のエリク・エリクソンは、人間の発達段階を8つに分類した。
1~8まで、乳児期、幼児期1、幼児期2、児童期、思春期、成人期、中年期、老年期、
という感じに分類され(分類の呼び名はいろいろある)、そこで満たされるべきことが満たされないと、
根本的な信頼感を持てなかったり、自主的な行動に対して罪悪感を持ってしまったり、
自分とは何者かが分からず、アイデンティティを形成できずに、他人に依存しやすくなったりと、
大人になっても引きずるような問題を抱えることもある。

岩崎容疑者は、叔父夫婦に預けられたという境遇から、
乳児期~思春期あたりのいずれか、もしくは複数が満たれなかったと思われる。
そういった意味では、かわいそうな子供時代だったかもしれない。

しかし、それがすべて満たされない子供は、他にもたくさんいる。
岩崎容疑者以上に辛い環境で生きてきた人も、たくさんいるだろう。
それでも、みんな一生懸命に生きて、成長し、生活していく。
子供時代がどうあれ、どんなに影響が大きくても、
大人になれば、自分で自分を変えていくことができる。

だが、おそらく岩崎容疑者は、そういったことをしなかったのだろう。
近隣トラブルについての記事を見てみると、周囲を憎み、攻撃的になることで、
自分という存在を知らしめようとしていたのかもしれないと思える。

当然そんな態度では、仕事に就いても、職場で嫌われるだろうし、
しょっちゅう人間関係でトラブルを起こすようなら、クビにされる。
それは誰のせいでもない、本人のあり方がもたらしたことだが、
岩崎容疑者はそう考えず、悪いのは周囲だと考えたのだろう。

そして、うまくいかないことが続いた結果、
死のうと考えたが、自分が変わることで周囲も変わるという考えがないから、
自分をここまで追い込んだ周囲への復讐で、関係のない人たちを殺傷し、自殺した。

被害者の中には、成人男性と男の子もいるが、
そのほとんどは、女の子だった。

女の子を多く狙ったのが、なぜなのかは分からないが、
子供を狙っているあたり、自分より明らかに弱いものを力でねじ伏せ、
自分の力を誇示しようとしたとか、そういったことかもしれない。
連続殺人犯でも、パワーを誇示しようとするタイプがいるが、
それとと似たものかもしれない。

おそらく、コンプレックスの塊で、だからこそ近隣住民にも威圧的で、
クレーマーのような態度を取る。
仕事などで、明らかに自分のミスで、まっとうな叱られ方をしても、
受け入れられずに、逆ギレするタイプだと思われる。

今後、容疑者についての情報がもっと出てくれば、
より詳細な犯人像が見えると思うが、
現時点では、上記のような人間であったと推測される。



■大量殺人を起こす人間の傾向
今度は、犯罪心理学の大量殺人犯に対する分析から、犯人像を見てみよう。

参考:犯罪捜査の心理学 越智啓太

この事件は、結果的に大量殺人にはならなかったものの、
そうなってもおかしくなったものなので、大量殺人として見ていく。

まず、大量殺人とは、一人(複数の場合もあり)の人間が、
同じ場所、同じ時間に「複数の人」を殺害する事件を言う。
「複数」の定義は、これといった決まりはないが、
3人以上を殺害すれば、大量殺人と考えるのが一般的のようだ。

ちなみに、ドラマなどで出てくる連続殺人犯は、
複数の人を殺害しているいう点では同じだが、
殺害する場所も時間も異なるため、何十人殺害しても、大量殺人とは言わない。

日本における、もっとも被害が大きかった大量殺人は、
相模原障害者施設殺傷事件で、19人。
世界では、ノルウェーの首都オスロと、ウトヤ島で起きたテロ事件で、19人である。

今回のような無差別殺人を起こす犯人は、
プライドが高いが、自分が思ったような職に就けていなかったり、
社会が冷たいなど、不満を抱いており、その矛先が、
社会そのものや、自分を追い込んだもの・・・学校や会社など・・・に向く。

そして、事件を起こす。
犯人の視点で言えば、自分をこんなにしたものへの復讐だ、ということになるのだろう。

犯行を行う際は、効率よく行えるように、もっとも人がいる時間帯や状況を狙う。
今回の事件で言えば、バスを待つ子供の列は、格好の標的だったのだろう。

凶器は、一つの凶器が使用不可能になったときのために、
予備の凶器を持って犯行に臨む。そしてその凶器は、
現時点で本人が入手できる最大の殺傷力を持つものになる。

アメリカでは銃だが、日本ではサバイバルナイフや包丁が多くなる。
今回の件で言えば、岩崎容疑者は、リュックの中にも刃物を入れていて、
計4本の刃物を用意していたというのが、それに当てはまる。

今のところ、岩崎容疑者の遺書などは見つかっていないようなので、
心のうちは分からないが、もしあった場合は、
自分ではなく、社会や他人が悪いから、こういうことになった、
というような、自分を正当化する内容が書かれていることが多い。

そして、逃げる気がないから、逃走経路の確保などはしてない。
岩崎容疑者も、最初から自殺するつもりだったのだろう。
もし死にきれずに捕まっていたら、死刑にしてくれと言った可能性もある。

その他、金銭トラブルや男女のトラブルで、家族や知り合いを大量に殺害するタイプや、
将来に悲観して、一家心中のような事件を起こすタイプなどに分類されるが、
今回の事件に関しては、一般的な無差別殺人に分類されるだろう。

犯人が自殺したために、動機は分からないが、
近隣トラブルの内容などから考えると、
社会に不満を持つ人間が、自己改善をせずに他人や社会のせいにして、
うまくいかないことへの復讐として事件を起こした、という感じだろうか。

そんな理由で、幼い子どもたちを襲い、少女と男性を殺害した、ということである。


■こういった事件は防げるか
残念ながら、たとえ周囲に大人がいたとしても、
こういった事件をゼロにすることはできないだろう。

しかし、少しでも防げるように対策を打つべきだし、
前東京都知事の舛添さんがTwitterで書いていたように、
警察のOBに協力してもらったり、銃の携帯、場合によっては射殺、
ということも選択肢として考えるべきだと思う。

銃が一般的でない日本の感覚だと、過激に聞こえるかも知れないが、
子供が犠牲になるのを防げるなら、真面目に検討すべきことだろう。


■犯人は一人で死ぬべきではなかったか
こういう事件を起こす犯人に対しては、
当然のように、死ぬなら一人で死ねばいいという意見も出てくる。
それはそうだろう。

しかし一部には、死にたいなら一人で死ねという反応に対し、
そういうことは言うべきではないという意見もある。
意見があるのはいい。自由だから。
しかし、この事件を起こした容疑者に、そんな心遣いが必要だろうか。

過去に何があろうと、こんな事件を起こしたら、同情の余地はない。
なぜ一人で死んでくれなかったのだと思うが自然だと思う。

襲われた子供たちは、どんなに怖かっただろうか。
亡くなった少女は、こんな奴に殺されなければならないことをしたのだろうか。
まだまだこれから、バリバリ働いていくはずだった男性は、
こんな奴に殺されなければならない理由があったのだろうか。

容疑者がこんな事件を起こす前に、誰かが手を差し伸べていれば、
容疑者は自己を見つめ直し、変わったかもしれない。
その可能性がゼロだとは言わない。

しかし、容疑者に手を差し伸べる人がいたとしても、
果たして容疑者は、その手を掴んだだろうか。
差し伸べられた手を掴む気がない人間は、引っ張り上げることはできない。
手を差し伸べれば救えたというのは、可能性はあっても、
必ずできたということにはならない。
そして、繰り返しになるが、こんな事件を起こしたら、
どんな理由があっても許されないのだ。

もちろん、こういう事件を起こす人間が出ないような社会を作っていくことは大切だが、
ゼロにはできない。
だから、こういった事件を起こそうと思っても起こせない抑止力を用意するというのは、
至極まっとうな意見だと思う。
それをせずに、善意や良心を信じ、話し合いで解決と考えるのは、甘いだけである。

良心のない人間もいる。
話し合いなど通じない人間もいる。

そういった相手に対しては、分かりやすい力を見せることが、抑止になる。
できれば見たくない現実かもしれないが、人間の悪意は、どこにでもある。
その悪意から国民を守るには、それをさせない抑止力が必要なのである。
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